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出雲大社

2022.03.22
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3度目の出雲大社参拝である。とてもありがたい。
前日、松江市八雲町の熊野大社の傍の宿泊施設に泊まり、朝一番のコミュニティバスでバスターミナルまで戻った。面白いことに、これは町の運営するスクールバスとなっている。
ターミナルからは、一畑バスで松江しんじ湖温泉駅まで路線で1本。40分の道のりである。そこから、一畑電鉄にのんびりとのり、出雲大社前駅までたどり着いた時には、快晴になっていた。2019年の時も、快晴であった。
3/22火曜日。まん延防止対策も明けたとはいえ平日午前中である。
拝殿の前で、卒業旅行の大学生に写真撮影を頼まれる。そして、拝殿に向かうと太鼓の音がしてきた。
撮影していなければ、そのタイミングにはならない。2019年は家族の手術明けであり、そのお礼と祈願に訪れたのであった。
今回は家族の健康が戻ってきたことへのお礼である。

そして、2019年に解決していることだが、私自身の魂の里帰りなのでもある。

少しスピリチャルな話だが、私をご守護頂いているエネルギー体であられる方は、江戸期に北島国造館にお勤めされていた神官であると認識している。守り頂くこのご縁はありがたい。2019年の時も回遊式庭園を歩いているときに、お神楽が鳴り始めた。今回も、出雲教としての大広間の拝殿もあることから、個人のお祓いの方がいた。その最中に遭遇し、祭主の祭文奏上などとタイミングがぴったり重なった。

これも、大社周辺を歩いてのんびりして見学したあとに、このタイミングに時間が一致し他ということである。あえて書くと、そのあと、西側の神楽殿に行くのであるが、ここでは挙式に出逢い、そして神楽殿から、神官たちの祝詞のの声が響いてきたのであった。その統一された声のトーンは、滝の中にいるかのように感じられた響きであった。
このように、とてもありがたいお出迎えをしていただいた三度目の参拝となった。

出雲大社にはエネルギーがないという能力者の方がいる。
私自身は、そのご意見を否定はしない。なぜならば、その方が言う東京の別の身近なパワースポットに出向くと、私自身の運気も上がることを体感してきているからである。
ただ、その方も言う通り、相性があると思う。

パワースポットの「場の力」との相性である。
私には出雲の場との相性が良い。

出雲大社は、大きな祭祀を司った祭殿・大王の神殿であるという感覚でとらえている。
それは、卑近な例でいえば、こんな感じであろう。

好きな音楽アーティストが日本武道館で伝説のライブを行ったとする。後日地方から、東京に旅行に来て、ああここであのアーティストが後世まで語り継がれる伝説のライブをやった場所なんだ、すこいなぁとその雰囲気に浸るとする。
もちろん、訪れたその日にはライブは行われていないし、アーティストもそこにはいない。
しかし、その「場」が記憶していて、そのエアーを受け手が体感するかのような雰囲気に浸るだけである。

しかし、本人にとっては、ライブ会場の中にいる感覚だ。
私が、本殿を「祭祀した場所」と感じるのは、その記憶の一端に触れた感じがするからである。

そして、さらに本殿裏の素戔社が大きな意味を持つと思っている。お社を前に、柏手を打つとその音が四方の山奥に響いて入っていく感覚が残る。私はこれが、出雲の原風景ではないかと思う。


似ている。石川県の羽咋町羽咋大社も、本殿裏の山はいらずの杜として聖域となっている。まさに 出雲・八雲 のエアーである。

出雲大社は縁結びと言われる。しかし、出雲国造が広くお話されているように、男女の縁結びだけということだけではない。縁結びとは、出逢った相手を自分が輝かせ続けられるようにつながり続けること、そしてそのことによつて自分もその使命を果たして輝いていけるように生きていくこと、その出逢いへ感謝するというものである。
だから、私も「お願い」はしない。

拝殿での言葉は、「感謝」である。

そもそも、3回も「いづもおおやしろ」に参拝できる幸運には感謝しかない。

​そして、エアーの良い時は、良い神言葉を引き当てる。
自分の感情の安定が、よきものを引寄せていくのである。
だから、御籤で運がいい悪いなと言い合って、まるで占いと勘違いして、枝に結んで帰ってくるような浅い動きは取らない。

そして、もう一つの参拝先は北島国造館の東50メートルのところにある命主社である。

めったに、観光客は訪れない。しかし、私の魂の記憶は、ここに参拝させる。

立派な巨木が出雲の歴史を語っている。

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