2018 松陰神社
それがなぜなのかは私にはわからない。
いやなんとなくわかっている。
私との乃木神社、松陰神社との繋がりは今までも書いてきた。
それに気づけたことも貴重であり、そして本日の御神籤の言葉も、誠にありがたい素朴なものであった。
人生の転機に関して、私には占星術があった。
他人は占わないが、自分はこの天気予報をしっかりと捉えてプラスに転換してきた。
そして、今後の20年間の展望は、今までの様々な経験を無駄にしないことも、昨年から体感してきている。
あとは、自分のパラダイムシフトが必要なだけだった。
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2017年から訪れる神社のほとんとで、ご祈祷の時間に拝殿にいる。これは偶然という名の必然である。1社や2社でないことは記述の通りである。そしてそれは今年も続いている。
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本日は、来週4月からの予行演習を行い、その後戻って渋谷からバスで松陰神社まで進んだ。
27日は吉田松陰先生の祥月命日であり、降雪後の1月以来2ケ月ぶりの参拝になる。この間、いろいろと私自身の今後8年の展望がプラスに変化していることもあり、その報告とお礼に参拝した次第である。ちなみに、先月の祥月命日は、関連ある乃木神社に参拝している。そして、参拝の証として御朱印帳の波動も整えたい想いもあった。
私は今後を占っている。そして、今後8年間の展望と簡単に書いてしまうが、今までの様々な経験が全て1本の直線の上に展開されてくるような素敵な展開が具現化してきている。
本日の松陰神社の桜は満開。松陰先生の墓所に通じる小道も満開であった。
1週間ほどで散ってしまう桜は、真心を映し出し厳かに散っていくような存在に見えた。まるでその姿は、松陰先生への畏敬の想いと重ね合わせて「夢幻桜花」という感じである。
改めていただいた御朱印と、名言集をセットにして画像にしておく。いただいた「しおり」もぴったりである。引いた「おみくじ」は、松陰先生の書からの言葉が掲載されている。
相変わらず枝に結ばれている方が多いが、御神籤は自宅に持って帰ってじっくりと読むものである。
「己が心を正直にし又己が躰を清浄にして、外に何の心もなくただ謹み拝むべし」(妹千代宛書簡安政元年十二月三日) という言葉が書かれていた。
神様は正直で清らかな心を好む。「拝む時は躰を清め、余計な願い事をせず、感謝の心を捧げなさい。」という教えが書かれていた。本日の参拝にぴったりの御神籤であった。
テレビをつけると、証人喚問とらで、やらされ仕事がいつの間にか身を守る手段になっていった人たちの哀れな退屈を、延々と流していた。
途中で消して、真梨子さんの曲を流して部屋の空気を整えたそんな日であった。
参道途中左に、小道があり、小さな鳥居がある。
その右手に吉田松陰先生の墓所がある。