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氷川神社 大宮
大宮の地名は、一宮である大きな神社があったところからきている。
ただ私にとってのポイントは、龍蛇信仰の素戔嗚族・出雲族が諏訪から足を延ばして南関東で勢力を持っていたということである。
そして、江戸時代の古地図では、ここはもともとの名称はアラハバキ社である。
よくあることであるが、新しいご祭神を祭祀するときに、もともとの神様を粗末にはできないので、摂社として祭祀しなおすという手法のように思える。これが、本殿東側に位置する門客人社である。素戔嗚尊の義父母を祭祀しているが、これはもともとの縄文神アラハバキ神を位置付けたものではないかと私は考察している。
8/19振替休 大宮氷川神社 1年ぶり参拝。またも太鼓の音に送られ東門傍の門客人社を意識して参拝。天保絵図で荒波々幾社とされ、縄文神アラハバキ を門客人神社(元社)として祭祀したのではないか。隣の御嶽社は大己貴命と少彦名命。
素戔嗚族、出雲族が、土着の縄文神を否定することなく融合してきたということが、氷川神社が南関東一円に広まった理由であると考察したい。
大きなな神社にある、奥宮や荒魂社は、とても深遠な雰囲気がある。
参拝者無し。
掌中央がじ~んと痺れてきた。
(C)氷川神社HP
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