金運 なぜお金を洗うのか?
もちろん、ここに書いていることは私の失敗した体験談と経験値、体感である。
ひとつだけ明確に言えるのは、このような考え方をしたときは私の金運が良くなることがあるということである。「そんなの嘘だぁ」という思い、つまり無意識の中で目に見えないメンタルブロックを勝手に作り出して、否定的にとらえてしまうようなことが、とても少なくなった。ある意味、思考と現実面の繋がりの法則性に少し気付けたということである。
コントロールできるところの手前までは遠い。
ポイントは、神社のとらえ方のところで述べた参拝のところにある。
「神社は感謝するところ。強く願わない。」ということ。
おそらく、人一倍お金への執着が強いのが自分である思っている。
だから、そのような考察をオリジナル版として図表化してみた。
(C)MDF宇宙館オリジナル模式図
気付き
実は自分はすでに
満たされている
同じような
幸せの波動
同じような波動の嬉しく楽しい
出来事に気付く
回転財としてのお金
周囲の人を幸せにする動き
前向きに実現したい
⇒
なにか嬉しい
倖せな気分
禊ぐ(銭洗い)
お金が欲しい、何とかしてくれ、足りない足りない
足りない困った 大変だ
強い願い
不安不満強欲
⇒
どうせダメ
すぐに叶わない
自分だけ儲けたい
さらにお金が必要
①神社の神様は人々に、幸せになってほしいという愛の波動を持って温かく迎えてくれる。
②「思えば成る。」はある。願いをかけたときの感情の波動がポイントである。その感情の波動がどういうものかが大切である。
③この世の中の森羅万象は、特定の波動を出しており、同じ波動のものが共鳴していく。つまり「類は友を呼ぶ。」ことは誰でも体感できる事象である。
④あれが欲しいと強く願うことは、今不足している、不満足であるという不足感の感情の裏返しである。つまり、そのマイナス感情と同じ波動のものを引き寄せてしまう。マイナス感情を強く意識していては潜在的にマイナスなままである。
⑤まず、今がとても満たされていることに気付くことである。100万円はないけれど、健康で無事に参拝できた。ランチが食べられる。交通費もある。などまず身の回りの小さな気付きからである。
⑥そしてポイントは願うのではなく、これから、どのように努力して生きていくかの宣誓である。この宣誓内容が、周囲の人の利他の幸せにもつながるような心持は、みんなを幸せにするという神様の波動にふさわしい。
⑦幸せである、満たされているという「うきうきとした感情」で宣誓すると、幸せな波動を引き寄せる。つまり「類は友を呼ぶ」。
⑧ところが、お金が欲しい、とにかくたくさんほしいという欲望は、極めて利己的でしかも額も目的も曖昧で不明確な、不満不足の心を前提としたマイナスの波動である。だから、その人にとってのマイナスと思われる波動の出来事や事象を引き寄せてしまう。つまり、「ずっとお金がない」ことを具現化してくれる。「泣きっ面に蜂」の状態になる。
⑨そのうち、願っても叶わないよね、どうせだめだというメンタルブロックを心の中で自分勝手に作り出し、それでもなおかつ金運が良いという神社があると聞けば、さらに願をかけ続けてしまう。この悪循環を生んだのは私自身のことである。
⑩銭洗いの極意は、⑤である。つまり、お金に対する執着を禊いで、どれだけ自分は恵まれているのかということ、小さな幸せから気付くことである。洗うことでお金が清められるということは、執着が禊がれて本来の意味を引き出すことになる。
⑪禊いだそのお金は、嬉しく楽しく使わせていただく。これがお金の根本的な性格。つまり回転財。証券の街の小網神社。商店の日本橋の福徳神社。「お金は天下のまわりもの」である。
⑫手元に早く戻ってきてほしいと、自分で期限を決めてはいけない。すべてを信じて天に任せるところまで執着を捨てるということ。もしかしたら、10年後に叶えてくれているかもしれない。人生の中での帳尻、陰陽のバランスはある。
とてもこういう思考経路は難しい。なかなかできない。だから叶わない。そして、焦りまくってまたしても、何とかと強く願い続けてしまう。これが、金運に対しての私の性分であった。
しかし、今は少し違う。気付きである。既に有るという気持ちがポイントだと思うのである。