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不忍池周辺の龍神

このタイトルは龍神系神社を参拝していてふと面白いと気付いたことである。

Wikipediaによると興味深い単語が出てくる。

不忍池(しのばずのいけ)は上野恩賜公園の中に位置する天然のである。

弁天島に建つ石碑によれば、「不忍池」の名は、かつて上野台地本郷台地(向ヶ岡)の間の地名が忍ヶ丘(しのぶがおか)と呼ばれていたことに由来するとのことである。また異説もあり、周囲に笹が多く茂っていたことから篠輪津(しのわづ)が転じて不忍になったという説(『新編武蔵風土記稿』『神代余波』)、ここで男女が忍んで逢っていたからという説(『望海毎談』)や、上野台地が忍が岡と呼ばれていたことにたいして不忍池と命名された説(『江戸妙子』『江戸名所図絵』)もある。

15世紀頃には既に「不忍池」という名で呼ばれていた。

不忍池はかつて古石神井川武蔵野台地の東端を割って海ぞいの低地へと注ぎ出ていた開口部に位置し、川の東岸にあたる上野台地(いわゆる“上野のお山”)や西岸にあたる本郷台地東京大学の立地する台地。南は神田山(駿河台)へと連なる)にくらべると、10m以上も標高の低い谷あいとなっている。

縄文時代の頃にはこの辺り一帯は東京湾の入り江であった。その後海岸線の後退とともに取り残されて、紀元数世紀頃に池になったと考えられる。

1625年江戸幕府は、西の比叡山延暦寺に対応させ、この地に寛永寺を建立した。開祖である慈眼大師・天海は、不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえ弁天島(中之島)を築かせ、そこに弁天堂を作った。当初の弁天島は文字通り船で渡る島であった。

しかし1672年に弁天島から東に向かって石橋が架けられ徒歩で渡れるようになった。

(C)MDF宇宙館オリジナル模式図

石神井は「しゃくじい」と読む。東京にいると早稲田大学の付属校もある文教エリアであり、ごく普通に読みができるが、地方の方にはなかなか読みづらいであろう。

私の考察は簡単。この「しゃくじい」は、諏訪湖を中心とするミシャグジ信仰で祀られる精霊)の名であると考察する。要するに、出雲族の龍蛇信仰だと思う。

この名前の川が、笹の生えている池つまり篠輪津に流れ込んでいる。

そして、幕府が興隆させた湯島天神の元社は龍の戸隠神社であり、笹塚稲荷神社である。同様に、大己貴命を祭祀する根津神社は、不忍池西側の本郷台地にある。東側には、寛永寺のそばにあった、五條天神社がある。不忍池の南は神田神社(神田明神)であり、東西南北を大国主命大己貴命で固めているのである。その池に人頭蛇身の宇賀神である弁天堂を祭祀していたということである。なんといっても、東側を進めば、金龍山浅草寺である。浅草寺には徳川家康公が合祀されている。

つまり、​江戸幕府は鬼門の方角に寛永寺、そして北側を龍で固めたということである。

石神井川
不忍池
根津神社
東京大学
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五條天神社
東2キロ浅草寺
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弁天堂
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笹塚稲荷神社
戸隠神社
湯島天神
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神田明神
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