top of page
皇大神宮
伊勢神宮内宮
(C)伊勢観光ナビ
初めて伊勢を訪れてから30年になる。2018年2回目の参拝である。ふと考えれば、自分の家系で伊勢神宮に2回、出雲大社に2回、大神神社に2回、熱田神宮や鹿島神宮に複数回参拝などしている者はいない。とても恵まれている。しかも、2回目以降の参拝は、このHPで述べていることをかなり意識して参拝している。
よって、その先入観もあるので、余計に伊勢は敷居が高い感覚である。
一口で言えば、伝統と格式の波動である。
宇宙の理というものを、真善美という言葉でその一部を表現するとすれば、秩序とか規律とか、という誰が見てもそうだと思う、頭の中にインプットされている状況も神性の一部である。その大きな愛の力で国を護っていただいている。
そして二千六百年以上にわたり、その有様を儀式で具現化し続けている伝統がある。
だから、出雲大社とは異なり、中央集権という外に向けての拡大の力と内部統制の力のバランスを保ち続ける「凛とした秩序」の波動が感じられる。
一方、あまりにも広大であり、「気」が拡散している感じもする。参拝する方も、このような国家天下の安寧を祈念するための神宮に、何を参拝してよいのか、またどういうわけか個人的なお願いをしている方もおられるため、その祈りの気のベクトルがまとまらない感じがするのである。
畏れ多くも一言で表現すれば、神社のイメージというよりも、聖苑という感じがしてくる。しかし、その気は内宮の荒魂社では強く、神の気配を体感した。じーんと掌が温かくしびれてきた。私の母方の先祖は伊勢出身である。母も生前はきりっとしていて厳しい母であった。そんなことを思い出した。
bottom of page