出雲大神宮
京都駅から,JR山陰嵯峨野線で各停で30分。嵯峨嵐山・保津峡を超えて長いトンネルを抜けると、突然平野に出てくる。盆地なのだが、周囲を山々の稜線が見事に囲んでいる。
すると、この風景とは異なる屋根の黒い建物が見えてくる。京都パープルサンガの京セラスタジアムである。
既に形状が亀の甲羅である。
駅からタクシーで北東に15分。
御蔭山の裾野に丹波国一之宮出雲大神宮がある。
初めての参拝である。
出雲大社と御祭神大国主命を祭祀するお社を訪れているから、訪れるべくして参拝すべきお社である。
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まず第一印象は、出雲大社系に感じるおおらかな温かい雰囲気というよりも、凛とした武家・公家の格式ある雰囲気である。
明らかに、結界が引かれている。
その緊張感がなんなのかは、御神域の御蔭山磐座周辺の参拝を行うと体感できた。
明らかに、御神域の雰囲気が違う。
古より祭祀されていた聖なる場所としての磐座は、ほぼ自然そのままで時間が経過している。
綺麗に整えられた境内とはまるで異なる雰囲気だ。
つまり、この御神域をかたくなに守り続けた緊張感の気が、凛として境内に張りつめている。
石清水八幡宮に行く途中の桂川の鉄橋もそうだったが、近代的な京都駅前とは異なり、わずかの時間の移動で時代感覚がタイムスリップする空間である。
さて、御神域の御蔭山の30分ほどの参拝めぐりは、とても貴重な体感であった。
その御神域は、自然がそのままで最小限の整備がされているというエリアである。
磐座には巨岩が存在しているが、岩になぞらえた聖なる存在を崇拝している感覚である。
そして穏やかできりっとした龍神がおられると思う。その、聖なる場を守り続けた緊張感が、境内の凛とした空気感である。この厳しさの波動も、境内にあると思う。
それはまた、島根の出雲大社の本殿後ろの素戔嗚尊を祭祀する摂社と裏山からのエアーにも似ている。石川県の気多大社の裏山も同様に御神域であり、奥宮がある。遠州の小國神社も山の裾野にあり大きな神楽殿を誇り似たようなエアーがある。しかし、そもそも出雲大社のお社の構造と並びが同じであり、出雲大神宮の方がきりっとまとまっている。
この感覚が、伊勢系の神社や八幡宮系では私は感じられない。それは、いいか悪いかではなく、明らかに国家に対しての大きなお役目の違いであり、波動の違いなのだろう。
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御蔭山から吹き抜ける心地よい秋風が体感できた。
『丹波国風土記』によれば、「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」と記します。よって当宮に古来より元出雲の信仰があります。(出雲大神宮HPより)
島根の出雲大社はもともと杵築大社(きづきのおおやしろ)であり、明治期に名称変更になった。だから、江戸時代に島根藩主が東京の武蔵境に勧請したのは杵築大社(きずきたいしゃ)である。
古代史ロマンでは、大国主命がなぜ出雲の地に祭祀されたかという経緯があるので、この社伝については
元出雲という由来も一応の理解はできる。
ただ私的には、「大国主大王の大国主命」と「統治者の役職名としての大国主命」を意識してとらえていきたいというのも私のスタンスである。
出雲系は、亀が一つのキーワードである。伊勢は鶴である。鶴と亀が統べる(滑るではない、統治である)、位置関係で後ろの正面は、天の橋立である。丹波亀岡は、まさにその天橋立に向かう途中にある。
海がないのに、「亀」という地名にも興味がある。
しかも、岡である。
奈良の大神神社には、古代人がシリウスと交信していた磐座がある。山を御神体とする神社は、交信場所として、宇宙と繋がるまさにパワースポットであり、その祭祀権が統治権でもある。
余談だが、浦島太郎の乗った亀がなんなのか、その形状からなぞらえて古代人が「亀」として認識しても何ら不思議ではない。同様に大国主命を御祭神とする気多大社のある、出雲族進出の石川県羽咋市は、コスモアイルとして宇宙博物館があり頻繁にUFOが目撃されている。これもロマンである。
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縁結びとは、人との出逢いとコミュニケーション。人とのご縁は、精神的な魂のご縁。御祭神の愛の波動に触れて、相手を輝かせて自分も輝き続けていく、ともに良い協調関係を作れるように謙虚に接していくとの御神徳であると捉えたい。
まさに、ご縁で繋がる場が神社である。