熊野大社
島根県松江市八雲町
2022.03.21
2011年に吉野の熊野三山を参拝してから、ずっと島根の熊野大社に訪れてみたいと思っていた。
そして、2019年に人生二度目の出雲大社を参拝し、周辺含めて2日間合計8時間の時間の散策をした自分にとっては、必須の課題のように思えてきたのである。
飛行機は嫌いである。新幹線で岡山まで3時間、そして特急八雲で2時間40分。漸く松江に到着する。
松江の北口バスターミナルから、15分におき位に八雲車庫行の路線バスが出ている。そして、一日8本しかないコミュニティバスに乗り換えて、さらに山の中に入って20分。
なんとか、熊野大社にたどりついた。
唯一、近辺に八雲温泉といっても、スーパー銭湯のような感じの施設と町の文化施設があるだけである。駐車場はとても広い。駐車場を100メートルほど突き抜けると、赤い欄干の橋がある。
もうエアーが違う。
のどかな川が流れている。水辺迄遊歩道として降りていける。しかし、それは自然の結界を張っている。
この山里の中のお社。その境内はとても広く、神聖な空気に満ちている。裏山の木々も一つの空間を形成している。それは、出雲大社の本殿裏の、素鵞社(そがのやしろ)のエアーに似ている。
もちろん出雲の規模はその100倍はある。
なんといっても、随神門からの大しめ縄は出雲系であることを知らしめる。
もちろん、出雲系に縁がある私は、だから参拝に来たのだ。本殿の大社造りは、出雲そのものである。
御祭神は、伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命。祭神名は素戔嗚尊の別名であるとされる。
「伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなご)」は「イザナギが可愛がる御子」の意である。「加夫呂伎(かぶろぎ)」は「神聖な祖神」の意として解される。「熊野大神(くまののおおかみ)」は鎮座地名・社名に大神をつけたものであり、実際の神名は「櫛御気野命(くしみけぬのみこと)」ということになる。「クシ」は「奇」、「ミケ」は「御食」の意で、食物神と解する。しかし、先代旧事では、素戔嗚大神と同じ御祭神と捉えられている。
面白い。拝殿内の空気は、祈祷を受ける方用のいすが並んでいるのであるが、特に祭祀などしていないのに、温かいエアーが満ちている。普通のお社で見かけるシーンなのに、ここは人の気配がする。
摂社の伊邪那美神社そして、荒神社もいい。
私の感覚では、思わず笑みが出てしまうほど、どなたかがいらっしゃる。そもそも御祭神が、高龗神である。つまり龍神であり、龍神社である。何か珍しい人が来たなという感覚であった。
稲荷社も同様である。この体感は、大神神社の拝殿右側の摂社の参拝時の感覚にとても似ている。と言っても、個人の感覚なのでなかなか伝えきれない。
冷たく厳しいというエアーではない。地元に愛され、守り続けてこられた温かさがある。
実は、大変僭越ながら、この参拝には意味があると思っていた。このお社の良さをもっと多くの方に知ってもらいたい思っていた。実は、別件で今さらながら投稿し始めたフェイスブックのグループに投稿したところ、201件の「いいね」のリアクションをいただいた。こう言うお知らせも僭越ながら私の一つの仕事だと思う。
そして、おみくじにはこう書かれていた。
「常に神様の御心と御一体となり、平らかな心、清しい思い、清い心の波を放出しなさい。それが神の子として社会に生きる人のあり方です。」
私が、ずっと波動とか共鳴とか言い続けていることをそのままお言葉にしていただいたようなおみくじであった。