熊野那智大社
飛瀧神社
那智瀧宝印/2011
玉垣内には正面に五殿。
右から四つ目の御社殿が、熊野夫須美大神(イザナミノミコト)をまつるお宮でひときわ大きく建てられている。各社殿とも熊野造りで正面の簾の奥は蔀戸で、左側には格子戸がある。殿内は外陣・内陣の二つに区切られている。
外廻廊があり、正面に木階があり、床下に腰袴があります。
右から
第一殿 滝宮(大己貴命)
第二殿 証誠殿(家都御子大神)
第三殿 中御前(御子速玉大神)
第四殿 西御前(熊野夫須美大神)
第五殿 若宮(天照大神)
第六殿 八社殿(天神地祗)
那智勝浦観光協会
熊野那智大社HP
公式HPによると、
「西暦紀元前662年、神日本磐余彦命の一行は丹敷浦(にしきうら)(現在の那智の浜)に上陸された際に、光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったところ、那智御瀧を探りあてられ、その御瀧を大己貴命(おおなむちのみこと)の現れたる御神体としてお祀りされた。神日本磐余彦命の一行は天照大神より使わされた八咫烏の先導により無事、大和の橿原の地へお入りになられ、西暦紀元前660年2月11日に初代天皇、神武天皇として即位された。先導の役目を終えた八咫烏は熊野の地へ戻り、現在は石に姿を変えて休んでいるといわれている。(烏石)
その後、熊野の神々が光ヶ峯に降臨され、御滝本にお祀りしていたが、仁徳天皇5年(317年)、山の中腹にあらためて社殿を設け、熊野の神々・御瀧の神様をお遷し申し上げた。これが熊野那智大社の始まりとされている。
那智の御瀧は熊野那智大社の別宮、飛瀧神社の御神体としてお祀り申し上げている。」
まさに、土着の神と出雲族存在を示していると思う。
大国主命と大己貴命を同じ概念でまとめることがある。このHPでも、その相互関係を考察している。要するに、出雲族が信仰し交信していた龍神(龍系シリウス)であるととらえれば、私はこの言い伝えがすっきりと理解できる。むしろ、出雲のイメージが強いのに、なぜ那智にということであるが、大神神社を含めて、そもそも高貴なエネルギー体との接触ということを考察しないと、わかりづらいと思う。いわゆる、姿形が見えない自然神信仰とも言われるが、那智瀧に入る参道からもう雰囲気が異なり、湿気が強く息苦しい感覚に包まれる。
しかし、瀧前ではなぜか清々しい。
エネルギー体が結界を張って、現実世界と遮断しているのではないかとすら思う。そしてそのとどまることのない豊富な水量がどこから来るのか知りたいくらい、見事な瀧であり様々な表情を見せていただける。それは、エネルギー体の波動で、参拝者の持つ波動との共鳴で、滝の勢いに表情をみせてくれるという感覚である。
そして、明らかに、飛瀧神社と那智大社の朱塗りの絢爛豪華な本殿・拝殿とはアンバランスである。
当然、「復活」をキーワードにしている熊野本宮大社のエアーとは全く異なる。
神社でありながら、極楽浄土と繋がる感覚。まるで現世と後世の橋渡しをしている入口のような感覚としての聖地である。